こんにちは。今日もお疲れ様です。
先日、川崎市麻生区で行われた「麻生区100人カイギ」に登壇してきました。ちなみに、以前の投稿で「10分間のスピーチをする」とお話した会議です。(過去投稿:『「10分間」で伝えられること』)
お隣の多摩区で知り合った方や友人も何人も来てくださったり、夫と娘も応援にきてくれて嬉しかったです。
100人カイギとは、『その街で働く100人を起点に、人と人とをゆるやかにつなぎ、都市のあり方や価値の再発見を目的とするコミュニティ』で、『ルールは簡単。毎回、身近で面白い活動をしている5名のゲストの話を聞く。ゲストが100名に達したら解散する』という決まりがあります(100人カイギホームページより)。全国各地で、その地域ごとに特色の違う100人カイギが開催されています。
今回も私含めて5名の登壇者がいましたが、皆さん素敵な人たちばかり。一人ひとりの個人的な思いを聴くことで、その人がぐっと身近に感じました。聴きにきてくださった方や主催者の方とも交流が持てて、また新たな繋がりができたのもよかったです。
伝えたかったこと
スピーチの中でも触れましたが、私は聴きに来てくださった人に何を伝えたかったのか。
私はこんなことをお話ししました。
私が伝えたいことは「自分を大切にしてほしい」ということ。そして、まずは私自身も自分を大切にできるようになっていきたい。
この裏には、こんな気持ちがありました。無理に自分を変えようとしなくてもいい。「べき」や「ねばならない」モードに慣れてしまって、今自分の心や体で感じられていることを見ないようにしているのなら、少し立ち止まってほしい。自分の中に今「ある」ものを見つめてほしい。
自分が自分の人生の主役。幸せに、よりよく生きるために
「~してほしい」という気持ちの中にあるのは、私の奥底に流れている切実さと苦い記憶。私はある一人の人にこれを伝えたかったのです。それに気づいたのは、その人がもう手の届かない所へ行ってしまってからでした。仮にその人がまだこの世にいて、変わらずにまた会える状況であったなら、きっとここまでの思いは私の中に湧いてきていないでしょう。
(「その人」とは麻生区100人カイギ当日に聴きに来てくださった方にはお話しました。そうでない人はまた直接お会いした時にでも。)
『人はつぶれる寸前でないと変われない。誰かに言われたその言葉を自分に言い聞かせている。変わってやる。見てろよ』
その人が最後に残したことばです。
遺されたものとしては、そこまでして変わろうとしなくても、あなたが今まで積み重ねてきたこと、見てきたもの、聞いてきたもの、あなた自身の素敵なところ、沢山あったのではないかということ。変わるために自分をつぶれる寸前まで追い詰めること、それは自分を幸せにすることとは真逆の方向性であること。伝えたいことが沢山ありました。
それを本人に伝えることはかないませんでしたが、それを機に私は、「遠慮」や「他人の目」より「やりたいこと」をより大切にしたいと思うようになりました。
いつ「最期」が来てしまうか分からない。一期一会、その時の時間を全部大切に過ごしたい。
「いつか」「また今度」と先延ばしにするならば、今一歩を踏み出して後悔のないように行動していきたいーー。
ある人を失ったことは、自分自身にとっての「幸せ」や「よりよい生き方」を考えていくきっかけともなりました。
また、自分がしようとしている選択は、自分を幸せにしてくれるものなのか?を軸に考えるようになりました。
私の原動力。そしてともに歩む
私が地域で活動したり、子育てひろばでの関わりを通して親子がほっとできる場所をつくりたいという気持ちの原動力になっているのは、こうした過去の経験からでした。
もういないのだけど、そばにいて見守ってくれている感じがする。その気配を感じると、どんなことでも、大舞台でも、はじめてのことでも、「自分なんか」と思わずに「やろう」という力が湧いてくる。
私は一人ではない。そう思わせてくれます。
ただし実際には、自分ひとりで進めようとして失敗することもあります。繋がりをていねいに深めて、色々な人のことをもっと知っていったり、知ってもらったりしながら、地域の中で何ができるか一緒に模索していく仲間をつくるのが大切なのだろうなと最近も感じているところです。
今読んでくれているあなたにとって、やりたいこと。自分の大切なこと、価値観はどんなことがあるでしょうか?良かったら感想や思いをコメントくださったら嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。