子育てひろば みどりのへや
川崎市麻生区にある専門職のいる子育てひろば
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あなたとわたしの健全な境界線を保つには

私たちは日々、色々な人間関係に囲まれて生きています。家事や育児、やるべき仕事、習い事や園への送迎、やりたいこと、趣味やライフワーク…家族であったり職場であったり、共通した志をもつコミュニティなどの中で、それぞれ違った顔を見せて色々な行動をしている自分がいると思います(以前の投稿でも、そのどれもが本当の自分だよ、ということをお話ししました)。

今回は、日々の人間関係の中で自分が自分らしくあるために大切なポイント、「他者との健全な境界線」についてお話していきます。

なにが本当にやりたいことなんだろう

私自身、日々を忙しく過ごしている中で、「何が自分にとって本当にやりたいことなのか」分からなくなってしまったことがあります。

例えば、次のような場面を思い浮かべてみます。

仕事にはやりがいを感じていて、もっと勉強していきたいと思っている。でも子どもたちは早く帰ってきてほしいといつも寂しそうに言う。子どもを笑顔にしてあげたいから、子どもとの時間を増やしたい。でも、仕事では求められることが増えていつも残業して終わらせている。体が疲れていて、ゆっくり家に帰って休みたい。お迎えに行った時に子どもが走って抱き着いてきた。寂しい思いをさせていたかもしれない。子どもが「ラーメンを食べに行きたい」と言ったから、疲れてはいたけど子どもが満足するならと車を走らせてラーメンを食べに行く。

仕事にやりがいを感じているし、もっと勉強して求められたことに貢献していきたいと思っている。母として子どもを喜ばせたいと思っているし、できることはしてあげたいと思っている。それはどちらも正直な思いであるし、正しい、正しくないという評価ができるものではありません。でも現実には、すべてを思うようにこなそうとしていく一方で、身体が悲鳴をあげていて、十分な休みがとれていない自分もいることにふと気づくこともありました。

ある人が言いました。「それってあなたにとって、楽しいの?」と。

「やりたいこと」は、「自分が心から楽しいと思えること」。
誰かにとっての「やりたいこと」と、自分にとっての「やりたいこと」は、違うんだよ、と…。

楽しい…はず。いや、楽しくは…ない…。

本音のところでは、私は「楽しい」とは感じませんでした。
やりたいことをやっているようでいて、ふるまいたい自分でいれているようでいて、子どもたちや職場の人から求められたことをやりたいことだと思っていました。身体の声を聴くことや、自分が心地よいこと、自分が楽しいと思う時間が持てていないことに気づきました。

自分と他者の健全な境界線ってなんだろう

「自他境界」とは、自分と相手との間にある境界線のことです。これは、自分のこころや感情のバランスを保つために相手との間に自然とひかれている線ともいえます。この境界線があるからこそ、自分は自分の考えがあり、相手は相手の考えがあると、切り分けて考えることができます。余裕がなくなったり、境界があいまいになると、「自分が思っていることはこの人もそう思っているだろう」とか、「この子を分かってあげられるのは私だけだ」「この人はこの困っている気持ちを全部理解してくれるに違いない」とか、自分と他者は違う人間だという前提が少しあいまいになって、自他の境界線を踏み越えてしまう(意識してはいなくても)ことがあります。また、別の例をみてみましょう。

いつも仲良くしてくれている友人Aさん。今日はAさんにカラオケに誘われた。実は私、カラオケにいくのは少し苦手だ。歌もうまくないし、最近の歌はあまり知らないし…。でも、断ったらがっかりさせてしまうかもしれない。もう誘われなくなるかもしれない。カラオケに行ったら、楽しいと思えるかもしれない。とりあえず、色々考えるのはやめてAさんに一緒に行くという返事をした。

この例の人は、自分を大事にしていると言えるでしょうか。

Aさんに気を使って、自分の本音に気づいていながらふたをしてしまっているのではないでしょうか。実際、断ったところでAさんはがっかりしないかもしれないし、違うことをしようと提案してくれるかもしれないのにも関わらず、Aさんはそれが言い出せませんでした。

できないことだってあるし、抱えられないことだってある

自分は完璧な人間ではないからこそ、すべてのことに100%応えることはできません。時には「これは私はできない」と思うことも出てきます。本当にできない場合であっても、気が乗らないけど頑張れば何とかできることであっても。「できないな、いやだな」と思うことがでてくるとしたら、自分の安全だと思う境界線の中に踏み込まれている感じがするかもしれません。そういったことを多く抱えていくと、やはりストレスフルになってしまいます。

「これは自分にとっては負担です」ということをはっきり相手に伝えることは、相手にとって自分と相手との境界を認識してもらうことに繋がります。つまり、「あなたは実はそう思っていたのね」ということがきちんと相手に伝わって、健全な境界線が作られていきます。

また、自分のできないこと、いやだと思うことに素直になるようになると、相手に対しても完璧さを求めるようなことはなくなるかもしれません。相手は相手の好みがあって、できない時もあるんだと尊重できるようになるでしょう。

自分の「快」と「不快」に気づけるようになろう

自分と相手の健全な境界線を作っていくためには、自分がどんなことに対して「心地よい」と感じ、逆にどんなことに「不快」さや「違和感」を感じるのか…日々行動したり、人に会ったりしながら体からそうした感覚が聴こえてきたら、ぜひそれに注意を向けてみてください。

こうした方がいいんじゃないか…周りの流れに流されて、置き去りにしようとしている「感じ」はないでしょうか?その「感じ」は、自分が本当に大切にしたい価値観に繋がるものかもしれません。ぜひ大事に掬い上げて、自分が納得する行動選択に繋げていってください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

ABOUT ME
Kashiwagi
専門職のいる子育てひろば「みどりのへや」の代表で、臨床心理士・公認心理師。2児の母。子育て中の親と子が「自分を大切に」思える社会になるよう、居場所づくりを大事にしています。
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