先日、子育てひろば「みどりのへや」で「ママのためのはじめてピラティス」を開催しました。申込者の多さから、ピラティスや体を動かすことに関心のあるお母さんが多いという印象を持ちました。自分の身体を癒したい、けれど自宅で子どもと一緒にいる状態ではなかなか自分の身体のケアまで気が回らない…そんなお母さんが多いかもしれません。
講師のEMIさんも、産後の子育てがたいへんな時期にみどりのへやを利用していたお母さんの一人。その時に経験がきっかけとなって、今回みどりのへやとコラボしてくださることとなりました。「ママさんたちに、リフレッシュの時間を作ってあげたい」という思いで今回の講座の構想がはじまりました。
ピラティスから見えた能動的な姿勢
ピラティス講座では、参加者の方のペースに合わせながら、EMIさんが声掛けしつつ、ゆったりした時間の中で身体を動かしていきました。はげしく動くのではなく、ヨガマットもしくはタオルをしいて、寝転がったり四つ這いになったりしながら、じっくり自分の身体との対話を重ねていくような時間でした。
印象的だったのは、どのお母さんもとても真剣な目をして参加していたこと。ピラティスに集中しよう、「この時間は、この動きに集中したい」という能動的な気持ちが伝わってくるようでした。可能な限り、お子さんはお母さんと離れてスタッフが違うお部屋で遊んで関わるようにし、同じお部屋にいたいというお子さんも、そばで関わりながらなるべくお母さん自身が動きに集中できる環境を整えていきました。
自分の身体の感じを確かめながら、一つ一つの動きにていねいに取り組む時間となりました。家でも継続できるよう、ていねいに伝えるEMIさんのことばの一つ一つも、お母さんにとっては心地よかったのではないでしょうか。
「心が可能になる」きっかけを提供する
講座を終えた後、参加者のお母さん何人かに感想を伺った時の表情も、とても印象的でした。
「良かったです~!」と、とても晴れやかなきらきらした笑顔で報告してくれる方が多かったのです。それも、余計な力が入らず、まさに「リフレッシュできた」を体現しているような感じで。
それは、少しの時間でも自分自身の時間を持てたということへの喜びもありますが、3人きょうだいを連れてこられたお母さんは、「下の子が生まれてから一度も離れて過ごしたことがなかったけど、離れて遊べるんですね!」と、自分自身の軽やかさだけでなく、子どもが自分から離れて子ども自身の時間を過ごせたことへの感動と余韻を感じられていました。お母さんや子どもたちにとって、いつもと違うひとときになったのではないかと思います。
お母さん達の表情を見ながら、私はあることばについて思い出しました。
臨床心理士の東畑開人氏は、「心理士の仕事には二種類ある」ことを語っています(参考:斎藤環、東畑開人『臨床のフリコラージュ 心の支援の現在地』青土社,2023)。
ひとつは、「心を可能にする仕事」、もうひとつは、「心を自由にする仕事」です。
「心を可能にする仕事」とは、環境を整え、自我をサポートする仕事のこと。追い詰められたり、混乱したりしている時、人は自分のことを考えたり感じたりすることはできません。そんな時には環境を整えたり、安心できるようなケアを得ることがまず必要になってきます。
「心を自由にする仕事」とは、ある程度自分の安心が保証されている中で、人が自分の内面をみつめて探索すること、よりよい生き方を模索していく作業に伴走する仕事になるかと思います。
日ごろ赤ちゃんや子どもとの暮らしやお世話で忙しいお母さんたちにとって、こころにじっくり目を向けることが難しく感じる時期があるかもしれません。「心について考えるよりも、まずは寝たい」とも思うかもしれません。ひどく疲れていたり睡眠不足だったり、身体への負担がある時は身体の休息が最優先になるでしょう。または、自分が疲れていても、子どもたちの授乳や食事、寝かしつけ、お世話を最優先にしなきゃと思うこともあるかもしれません。
今回の講座を経て、子育てひろばでできる私たちの仕事の一つは、「心を可能にする」お手伝いではないかと思ったのです。
少しの時間、身体を見つめて自分でケアし、ケアされる時間を持つこと。それは同時に精神的なケアにも繋がり、水を得た植物のように瑞々しくお母さんが回復する時間ともなる。
そうすると、心の中に余裕が生まれて日ごろの大変さの中身、自分がどう感じているかにも目が向けられ、感じたことを言葉にもできるようになっていく。言葉にしてもらうと、スタッフもお母さんと一緒に味わうことができる。
ピラティス講座を通して改めて、お母さんにとって心身のケアは大事だと実感しました。
これからも、時々このような講座を企画しながら、子育て中の親子のケアの場ともなるように、ひろばの活動を続けていきたいと感じました。
最後までお読みいただきありがとうございました。