「書くこと」、「ことばにすること」…
皆さんは日ごろどれくらい意識されていますか?
毎日日記をつけたり、毎日ではなくても一日を振り返る時間を持っている人はいるでしょうか?
書いてみようかなと思っても長続きしなかったり、何を書けばよいか分からず止まってしまう…そういった方も多いかもしれません。
私も以前『「誰かに」じゃなくて「あなた」に届く分を綴りたい』という投稿で触れましたが、自分が思うことを、人に届くように書きたい…でもどう「書いたら」いいのかとずっと考えながら文章を作っています。
私は、仕事の中で、そしてブログを始めてから「書く」ことについてより考えるようになりました。ですが、そもそも何かの目的のために「書く」ことを習慣にしている人はもしかすると少ないかもしれません。
そして、「自分を振り返る」「自分を見つめる」ことに目的意識をもっている人はもっと少ないかもしれません。
「書く」ことに、特に好きも嫌いもなく、単に勉強に必要だからとか、仕事のスキルとして持っておいた方がいいとか、ハウツーを学べば誰でもうまくなれるとか、即効性を求めて「書く」技術について学ぼうとする人はいるかもしれませんし、それはそれで「読みやすい文章を書く」ことには役に立つことなのだろうと思います。
しかし、「書く」ことはそういった勉強やスキルだけの話ではなく、「おもしろい」ものなんだよ。「書く」ことは、未来の自分をもっと豊かにしてくれるものなんだよ。
そうしたメッセージ性のある、「書く」ことのおもしろさや意義がぜんぶぎゅぎゅっと詰まったような本に、先日出会ってしまいました!
タコの「タコジロー」が主人公の物語
この本の概略を話すと、タコジローというタコの中学生と、ヤドカリのおじさんが出会ったことで、タコジローくんの日常が少しずつ変化していく…そんなお話です。
「主人公がタコ?それってどんな話なの??」と思うかもしれません。ファンタジーの作り話だろうと思うかもしれません。確かにここには人間は一人もでてこないし、「公園」が出てきますがそれも海の中。ある架空の世界の架空の話です。
ですが、タコジローくんのいる世界は、私たちがどこかで通ってきたような世界でもあり、誰かがまさに感じているであろう世界でもあり、私が今まさに足踏みしているような世界でもあるように感じました。
そんな既視感に近いような感覚、少し苦く痛いなつかしさをまとった物語と、おじさんが薦める「書く」ことについての話が絶妙にリンクしていきます。
どうしてしゃべるとスッキリするんだろう
主人公のタコジローは、快活で明るくて友達が沢山いて…そんなクラスのリーダー的なポジションやその周りの集団の中にいるタイプの学生ではありません。タコに生まれた自分に劣等感があって、自分に自信がなくて、クラスの中では日ごろからからかわれたりいじめの対象になっている悩める青年です。
ひょんなことからヤドカリのおじさんと出会い、自分の思いを思っているままに打ち明ける体験をしました。タコジローがことばにできるところから、ことばに詰まりながら脱線しながら一生懸命話す間、おじさんは一言も口を挟まず、じっくり聞いてくれた。今までそんな人に出会ったことがないという新鮮さがあったのもあるかもしれません。話し終えたタコジローは自分が「スッキリしている」ことに気づきました。
話しても根本的な解決にはなっていない、ただしゃべっただけでなぜスッキリするのだろう。おじさんはこんな言葉を投げかけてくれます。
「…(中略)…だれかが話を話を聞いてくれたらうれしい。同意してくれたり、やさしい声をかけてくれたりしたら、もっとうれしい。でも、それだけかな?タコジローくんは話せたこと自体、うれしかったんじゃないかな?つまり『聞いてもらうこと』より先に、『ことばにすること』のよろこびって、あったんじゃないかな?」(「さみしい夜にはペンを持て」p.38より引用)
ことばにすることのよろこび
以前このblogの投稿でも、「ことばになる前の感覚」に気づいたり、どうことばにしていくかという話を書いたことがあります。
こうした「ことば以前の感覚」って、ことばにしないうちに通り過ぎてしまうことも多いのですが、タコジローのようにことばにならない感覚が積もり積もって、頭がぐちゃぐちゃになったり、うまく考えられなくなったり、身体化(ストレスが身体症状として出ること)してしまうこともあります。
この本では「ことば以前の感覚」を泡に例えて「コトバミマンの泡」と表現していますが、とてもしっくりくる表現だなあと感じました。
単なる泡でしかなかった感覚が頭の中を占めていた状態から、「ことば」になって外へと発散されたことで大掃除されたように「すっきり」したのではないかという説明は腑に落ちました。
自分に話しかけるために「書く」
誰かに自分の話を聞いてもらって、ことばにならなかった感覚がことばになってすっきりした。でも、周りに相談できる相手はそうそういないし、誰にも言えないことはどうすればいいのか。
そういう時は「自分に相談すればいい」とヤドカリのおじさんは言います。
「書く」と「考える」はセット
友達同士の「おしゃべり」や「会話」では、思いついたまま話して、相手の言ったことにどうことばを返すかに注意が払われ、話も色々な方向に脱線していきやすいです。でも、文章で書こうとすると頭の中で一旦整理しながら考えて書かないといけません。つまり、「考え」のともなわない文章はありえないといいます。
「考える」のがなぜ大事かと言うと、自分の頭で整理して考えながら書くことで、「どうなったらよいのか」「どこへ向かっていきたいのか」自分なりの答えを探そうとすることに繋がっていくからということ。
書いたり、不必要なところを消したり、関連するところを繋げたり書き足したりして、何度もその文章を見返すことで新たな気づきが生まれることって確かにあるよなあと思います。まさに、自分というダンジョンを深く深く潜って探索していくようなことも「書く」ことで可能になっていく気がします。
日記を続けてみる。読者に読んでもらうことを想定して
ヤドカリのおじさんが薦めているのが「まず日記を10日間続ける」ことです。これを達成すると見えるものが変わるとか。
でも、私もよく経験していますが日記ってなかなか続かないですよね。はりきって日記用のノートを買うも、三日坊主になってしまうこと…何度かありました。
なぜ日記は続かないのだろう。これについても本の中で言及されています。
日記の向こうに、それを読んでくれる相手がいない。自分の気持ちを伝えるべき相手がいない。だったら、ことばを尽くして『わかってもらおう』とする必要がない。結果としてものすごく雑な、ただ自分の感情を吐き出すだけの日記になってしまう」(「さみしい夜にはペンを持て」p.265より引用)
日記を書くけど、誰も読む人はいない。そう無意識でも思いながら書いていたからこそ、丁寧に言葉を選んで、相手に届けようとして文章を考えずに「わかってもらおう」とする努力をしないまま、ただ書きなぐるだけの文章になってしまう。
なるほど、そうか…!と思いました。私は確かに、自分の日記をほとんど見返したことがなかったことを思い出しました。
日記もそう捉えると、未来の自分に宛てた手紙のようだなと感じました。「書く」自分は、未来の自分が読者になることを感じながら、書く。そして書いた日記を読む「未来の自分」は、日記を「わかろうとしながら」読み返していく。毎日読み返さなくても、10日くらい書き溜めたものを読み返しながら振り返ることで、新鮮な目で自分を眺められたり、新たな発見がある。「あの時」苦しかったとしても、それを客観的に振り返れるようになる…。
日記も、「読者」がいると思うと続けられる気がするし、自分自身が自分を「分かろうとする」態度を育てていけるんじゃないかと思います。自分を分かろうとする、「こんな自分、嫌いじゃない」と思える自分を育てることって、実は大きいことじゃないかと思うのです。
中学生に向けての応援歌、でもこの武器と地図をもっていないすべての大人にも薦めたい
著者でライターの古賀史健さんは、中学生に向けてこの本を執筆したとのことです。確かに、自分の気持ちや現状を「書く」ことで整理して向き合う。自分を理解していくということは、思春期の学生さんにとってとても大事な武器になるだろうなと思います。タコジローのいる世界も、とても分かりやすくとっつきやすいので、学生さんが自然に「書く」ことへの興味を持てるような内容になっていると思います。
ですが、色々なことばを使い、考え、書くことで考えを掘り下げていくこと、これはむしろ頭で色々なことを考えつつ、ことばになりきらないものも多い大人の皆さんにもお薦めできるなと思いました。自分というダンジョンにはまだ未開の地があるはずです。
「書き」はじめることで、冒険のドアを叩いてみませんか?
最後までお読みいただきありがとうございました。
私は大勢の前で話すことにかなり苦手意識があります。緊張もありいつもうまく話せないのでそういう機会があると自己嫌悪に陥ることもしばしばです。後で、あの時こう言いたかったと思ったり。
書くことは昔から好きなのですが、最近は何かを書くこともほぼありません。考えてみたら自分について考えたり振り返ることも最近全然していませんでした。毎日を大切に過ごすためにも日記をつけてみようと思います。書くことで考えがまとまればいつか話すことも得意になるかもしれないっという期待も込めて。気付きをありがとうございました。
となかいさん
コメントをありがとうございます。書くこと、昔から好きなのですね。忙しかったり余裕がなかったりすると自分を振り返る時間もなかなかとれなかったりしますよね。
一日のことを全て書かなくても、自分が印象に残ったシーンについて、気づきがあったことについて書けばいいんだと思ったら、私も日記へのハードルが下がりました。
「自分がこの日記の読者なんだ」と意識しながら書くと、日々の日記も、言葉にすることも愛おしく感じるかもしれませんね。自分にしっくりくる言葉を書けるようになると、話すことにもいい影響がありそうですよね。
となかいさん素敵だと思います!何より、こうしてコメントくださって私もとても励みになりパワーをもらえました!これからもブログを通じて「書く」こと、私も続けていきたいと思います^^お互い頑張りましょう!
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