子育てひろば みどりのへや
川崎市麻生区にある専門職のいる子育てひろば
子育てについて

言葉の温度、子どもにどう伝わるか

私たちは普段の会話の中で、自然に言葉を交わしています。SNSでのテキストメッセージと直接会って相手と話した場合の大きな違いの一つは、この「言葉」に「温度」や「速度」等、色々な感覚が伴って感じられる所かもしれません。直接会って話した時、同じ言葉でも、だれに言われるか、どう言われるかによって感じ方が大きく違ってくることは、日々皆さんも実感しているところだと思います。

今回はこうした「言葉の温度」についての話を書いていきます。

子どもが落ち着く声

子どもと一緒に過ごしたり遊びを見守っている時、親御さんは同じものを見ながら子どもの様子に呼応するように「楽しさ」を一緒に共有したり、「あっ、こうなるんだ!」と子どもが発見した様子を見て一緒に喜んだり、寝ぐずりでなかなか泣き止まない子をなだめながら共感の気持ちを表情や言葉で伝えたりしながら、(もっと沢山の場面で沢山の関わりをされていると思いますが)その時の子どもの調子に合わせた声掛けや身振り手振りも交えながらの反応を自然ととっています。

精神科医のスターン(Stern,D,N.)はそれを「情動調律(Attunement)」と呼びました。例えるならピアノの「調律」をするように、子どものリズム(声の抑揚や泣き声、動き)と親のリズム(子どもに声や身振り手振り、表情などで応える)が相互作用となって音楽のようにその親子独自の関係が作られていく…。

そういったかかわりの積み重ねが、子どもが自分の外側の世界に基本的な安心感を持つためには重要だと言われています。また、「マザリーズ」と呼ばれる、赤ちゃんに対して大人が自然に高い声で話しかけたり、ほほえみかけながらあやしたりといった「赤ちゃんに合わせた声色や関わりを自然ととる」ことも、情動調律と似た親子の関わりを表していると言えます(関連記事:『マザリングについて~引き出す力を持つ赤ちゃんと応えようとする親の関わり合い~』)

親子の関わりは相互作用です。赤ちゃんが言葉やサインを発したら親が気づいて反応したり、赤ちゃんがほほえんだら一緒に嬉しい気持ちになってくれることは、赤ちゃんにとっても(もっと大きくなった子でも)、心地よいものとして体験されていくでしょう。

よく聞いているお母さん、お父さんの声はやっぱり安心するなぁと感じたり、穏やかな口調で話しかけられると落ち着くな、と思うこともあるかもしれません。

どなられた言葉は、どう子どもに聞こえているか

子どもが言うことを聞かなかったり、許容できないことをした時など、「怒る」場面や「叱る」場面というのはどのご家庭でもあるかと思います。ただ、その「叱る」という場面においては、子どもに大人が伝えたいことがうまく伝わっていない場合が多いのではないかと考えます。

分かってほしいから感情的になって伝えようとするのに、それが伝わっていないとしたら。「叱る」という行動は本来の意味をなさないものになってしまいます(叱るということ、怒るということは専門家の中でも是非であったり色々な考え方があり、またそれについては別で取り上げようかと思います。)。

ここでは「大人が怒鳴った時、子どもはそれをどう知覚しているのか」ということについて一つの例をあげて想像してみたいと思います。

 二人きょうだいの兄と妹が遊んでいる時、思い通りにいかないことを不満に思った兄が妹に対して、言葉でうまく言えずに手が出てしまった場面がありました。一度では済まず、何度か手が出ることが続きました。
親はその場面を見て「手をあげるなんて認められない!」「やめさせなければ」という思いになり、兄に対して感情的にどなって叱ってしまいます。
親としては「叩くのはいけないよ」ということを伝えたかったのですが、強く怒られたことでかえって兄も感情的になってしまい、聞く耳を持たなくなりその場でそれ以上話をすることはできませんでした。
後で親が落ち着いた時に「お母さんが何を言いたかったか、伝わった?」と同じく落ち着いた状態の兄に聞くと、「いや…めっちゃ大きい声で怒られたことしか覚えてない」という反応が帰ってきました。

この例のように、大きな声や威圧的な雰囲気というのは「言葉」以上に子どもの感情を深く揺さぶり、脅かしてしまいます。伝えたかった「言葉」の情報がまったく伝わらずに、その時の声の大きさだったり、怖い表情だったり、言われた時のドキドキした、怖いという気持ちだったりという言葉に乗っている「温度」や「感覚」の情報しか記憶に残らない、ということはよく起こりうることかもしれません。

言葉にするのが面倒くさい時、感情まかせになりやすい

少し観点を変えます。以前投稿した記事で、古賀史健さんの『さみしい夜にはペンを持て』を取り上げました。その中の一説で、「どうして『ことばの暴力』が生まれるのか」ということが書かれた部分が私は心に残り、何か楔(くさび)のように刻まれた感覚がありました。

「ひとつ目の理由は、ことばの『効き目』を知っているからだ。きっとみんな、ことばに傷つけられた経験があるんだろうね。こんな風に言えば、こんなふうに効くと知っている。そのことばを使えば、一発で黙らせることができると知っている。だから自分が傷ついたのと同じようなことばを使うし、大声で怒鳴ったりする」
「…どうして一発で黙らせたいのか。ふたつ目の理由は『面倒くさい』だ」
「ていねいに説明するのが面倒くさい。論理的に説明するのも面倒くさい。反論されたら面倒くさい…」
                         (『さみしい夜にはペンを持て』から一部引用)

親や大人は、子どもに対して「こうあるべき」ということを「分かってほしい」と迫ろうとする時、やってほしくないことをやめさせたいと思う時、叱ろうとする時、「なるべく素直に分かってくれないかな…」と思ってはいないだろうかと、ちょっと自問することも大切なのかもしれません。

なるべく手っ取り早く言うことを聞いてほしい、ではなく、自分の感情的になっている部分に気づけたらちょっと立ち止まること。そして、「自分の言葉がどうしたら伝わるか」、「どう言葉にしようか」と考えてみてから改めて伝えることが必要である場面もあるかもしれません。

精神科の看護師として働いている「こど看」さんの著書、『児童精神科の看護師が伝える子どもの傷つきやすいこころの守りかた』に、これと関連した印象的な一説があります。

「心は鬼にしても、言葉は鬼にしない」というもの。

心が鬼のまま言葉も鬼になってしまわないよう、感情をマネジメントすることで、言う必要があること、ないことを判断し、本当に伝えたいことが子どもにも伝えやすくなるかもしれません(関連記事:『子育てのイライラとの付き合い方』)。

言葉には温度があるからこそ分かりあえる

言葉の温度のネガティブな側面もお話してきましたが、目の前の相手と言葉や仕草、空気感をやりとりし合うことで、距離が近づいたり分かり合えることができると言えます。

一緒の温度を共有しているんだ、と頭の片隅などに置いてもらえたら、「相手はどう感じるかな」「自分は何を伝えたいかな」と大事な部分に気づけることが増えるかもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございました。

【参考書籍】


ABOUT ME
Kashiwagi
専門職のいる子育てひろば「みどりのへや」の代表で、臨床心理士・公認心理師。2児の母。子育て中の親と子が「自分を大切に」思える社会になるよう、居場所づくりを大事にしています。
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